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貨幣の本質論争
2009-02-21-Sat  CATEGORY: 未分類
《ディスカバリー 投稿日時: 2009-2-16 0:58

No.152239:タクシーは何一つ証明していない
http://nf.ch-sakura.jp/modules/newbb/reply.php?forum=1&post_id=152156&topic_id=2754

>金本位制の下では紙幣は兌換券であるから、政府は紙幣と金を交換する義務があった。まさに負債性があった。しかし現代においてもそれがあるというなら、その根拠を示さなければならない。熊野氏はそれに挑戦し、見事に破綻した。

これが「政府貨幣は政府の負債」「政府紙幣は政府の負債」ということが間違いである、という証明なの?どこが証明になってるんだ?
「政府貨幣は政府の負債」「政府紙幣は政府の負債」・・・これが正しいと証明された。
そしたら、タクシーがこれが「政府貨幣は政府の負債」「政府紙幣は政府の負債」ということが間違いである、と言うのなら、「政府貨幣は政府のX」「政府紙幣は政府のX」でXには何が当てはまるのだ?タクシー答えよ。答える義務があるだろう。
タクシー、答えよ。 》
http://nf.ch-sakura.jp/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=2754&forum=1&viewmode=flat&order=ASC&start=6460
http://nf.ch-sakura.jp/modules/newbb/reply.php?forum=1&post_id=152239&topic_id=2754&viewmode=flat&order=

早速来た。

>「政府貨幣は政府のX」「政府紙幣は政府のX」でXには何が当てはまるのだ?タクシー答えよ。

デスバカ君得意の論敵追及術だ。

貨幣は政府にとって負債であり、資産でもある。これが貨幣の本質だ。資産(性)・負債(性)――その統一体が貨幣であり、相対立する二つの側面の一方だけが物(事)の本質を構成しているとするのは愚論である。人間の本性が善か悪かを決めようとするようなものだ。善も悪も人間には本来的に備わっているものだ。一方を消し去る事はできない。権利があれば必ず反対側には義務がある。熊野氏は貨幣の本質は負債性のみであると証明しようと論理的なごり押しをして失敗した。「最後の受け取り手」論の破綻だ。デスバカ君も桜チャンネル掲示板で私の前回の当ブログ記事を多面的(?・笑)に攻撃しているが、見事にこの点だけはスルーした。

では貨幣の負債性とは何か?ケインズがそう言ったからとか、偽造を防ぐ印刷技術の保持義務とかそんなものではない。単純化して言えば、貨幣の回収には費用が掛かるのだ。日銀券は新規発行に際しては国債などを市中銀行から買い取り代価として日銀券が支払われる。従って日銀の貨幣鋳造益は国債等の利息分である。そして、日銀券の回収はこの国債等を売りに出して行われる。

政府貨幣(500円玉などのいわゆる補助貨幣)もかつては日銀券と同じ考え方で発行されていた。発行と同時に同額が一般会計から「回収準備金」として支出された。回収に際してはその基金から同額を支出して買い戻し償却する。だから貨幣鋳造益はこの基金の運用益にあった。ところが政府は1983年この準備率を100%から10%に低下させ、95年には準備率を更に5%に低下させた。この結果、政府貨幣の鋳造益は、発行額の95%から鋳造コストを引いた額となる。これが財政収入となる。

これが貨幣というものをありのままに見た現実である。負債性もあれば、資産性もある。この両側面がせめぎあいながら通貨政策が決定されていく。一部の経済学者・エコノミスト(大多数と言うべきか?)は、熊野氏のように現実を見ず、「貨幣の本質はその負債性にある」という衒学的で魅惑的な規定にしがみついているだけに過ぎない。
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